2021.03.11 わたくしゴト
あっという間の10年
3.11から早くも10年。
各メディアなどでも報道、掲載されております。
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当時、24歳の時
今とは別の仕事をしており大きな地震があり、
職場の人と建物の外へ避難したことを覚えている。
その時は「今の大きかった。あぶなー。」など笑いながら
また仕事へ戻り、仕事終了後 家へ帰宅。
テレビをつけると、
映画のワンシーンのような映像が。。。
SNSなどでもさまざまな情報が流れており、
「えっ!あの地震で?えっ!!どうなってるの?」など
自分の頭では情報の整理ができてませんでした。
すぐ、東北側の友人と連絡をとったり、
名古屋の友人たちと連絡取り合い情報交換し、整理。
やりとりの最中にさらに深い情報を知り、
現場優先で動く友人の手伝いをし、物資を集め、東北へ運ぶ準備をした。
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物資が揃えば、すぐトラックや大型の車へ積み込み東北へ向かい。
僕は、遅れて再度現地(陸前高田)へ向かうタイミングで同行。
初めて自分の目で見た現地は、閑散と…とても静かだった…
何もない。無くなった景色が広がっており、不自然なところにある船、車。
ガラスなどの無くなっている建物、建っているのがやっとな建物など。
その中 仲間達と、テントを貼り泊まり込み、
破損した木材、什器などの片付け、重油、ヘドロ、砂、泥などの撤去、清掃などの手伝いをした。
物資を集めては、再び現地へ運び、現地作業の手伝い、
何度も、名古屋 – 東北間を往復。
当時、名古屋と、陸前高田とのギャップにはものすごく強烈な印象が残ってます。
どちらも同じ現実か…。と。
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お手伝いした家のご家族からも、僕たちの方へ優しくされた言葉印象に残ってます。
また一から頑張ろ!
家はまた住める程度に直せれたらいいから。
お兄さんも遠いところありがとう。ご苦労様です。
お茶でも飲んで、ご飯でも食べていって!と一緒に食事へ誘ってくれた。。。
長く人生を経験している先輩なので、芯からの「強さ」と
そこから生まれる「優しさ」を感じることができた。
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改めて10年。
多くの犠牲者の方々へ追悼の意を表します。
変わったことや、まったく変わっていないことありますが…
3.11を経験し、自分の肌で現場の空気を感じた1人として、
危機管理のことを会社、家族とも考えていきたい。
あたりまえが、あたりまえじゃないこと。
忘れずに。
現地にてお手伝いしたご家族の方々、施設、役所の方々。
物資や、車、資金などご協力いただいた方々。
当時のことを忘れないように、各イベントや、冊子など情報に残していただいている方々。
ありがとうございます。
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一部、当時の写真を掲載致します。
写真は、震災2ヶ月後くらいの写真です。
※過激な写真は省いておりますが、当時のことを思い出し気分を害してしまう可能性がございますのでご観覧にはお気をつけください。
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3.10は、昭和20年に東京大空襲
3.11は、平成23年に東日本大震災
3.12は、東日本大震災の翌日、長野で震度6強の地震
年代は違えど、すごい3日間です。
改めて過去の地震についても調べると、短い期間にかなりの被害がでております。
用心しましょう。
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